◆特別養護老人ホーム(介護職)→デイサービス(施設長)→訪問介護事業所(サービス提供責任者)
O・Rさん(女性・35歳)
経歴詳細
●特別養護老人ホーム(勤務期間:5年/月収手取り約20万円・ボーナス約45万円)
●飲食店(勤務期間:2年)
●障害児支援(勤務期間:4年/月収手取り約27万円)
●デイサービス(勤務期間:4年/月収手取り約28万円・ボーナス約28万円)
→訪問介護事業所(サービス付き高齢者向け住宅に併設)へ異動(勤務期間:1年/月収手取り約30万円・ボーナス約60万円)
保有資格:介護福祉士、准看護師
家族構成:独身
*O・Rさんの「転職 成功・失敗 体験談」…
1回目、2回目、
3回目、
4回目(最終回)はこちら
【准看護師の資格取得】介護現場だけでは学べない医療の知識が欲しい
働きながら准看護師の資格を取得する
特別養護老人ホーム(特養)を退職してから、サービスの基本を学ぶために居酒屋で働いていましたが、
「やっぱり私は介護を通して誰かを支える仕事がしたい」と思うようになりました。
ただ、「介護現場で自分が本当にやりたいこと」を考える中で思い当たったのは、自分に知識がないことです。
介護技術に関しては、高校でも学びましたし、特養の現場でも5年間毎日学びの連続でした。
けれど、利用者様の状態を正しくアセスメントし、適切なケアをするためには医療の知識や技術も必要です。
介護職は医療知識に弱く、エビデンスを明らかにしないままケアに取り組みがちです。
そのため、「どうしてそのケアがうまくいったのか」や「どうしてうまくいかなかったのか」がわからず悩んだり、不適切なケアを行ったりしてしまいます。
それで、正しいアセスメントやケアの基礎となる医療知識を持ちたいという思いで、看護の資格を取得することにしました。
でも、看護学校の勉強に専念する金銭的な余裕はないので、働きながら勉強したい。
そこで、まずは准看護師の資格を取得することにしました。准看護師の資格取得なら、半日の授業に出るだけで資格が取れる学校があったので、病院で働きながら学校に通って、勉強と仕事を両立することができます。
実は以前、特養で働きながら社会福祉士の資格取得をしようと思って学校に入学し、勉強を始めたのですが、挫折した経験がありました。
今度こそ、きちんと資格を取りたいという思いが強く、2年間看護助手として病院で働きながら学校に通い、無事に准看護師の資格を取得することができました。
正看護師の資格取得の勉強か、介護現場で働くか?
准看護師の資格は取れましたが、本当は正看護師の資格も取得したい。
そのためには、どんな道筋があるのか、自分なりに調べました。
看護学校によっては、授業料を貸与してくれるところや、学校指定の病院に勤めれば、授業料を免除してくれるところなどもありました。
どうやったらわずかな貯金と学校の援助で通えるのか考えていた頃、知り合いの看護師さんから、「あなたにお願いしたい仕事がある」と言われたんです。
【障害児支援の仕事に転職】個人契約でひとりの女の子に寄り添う
12時間勤務で月収30万円、社会保障はなし
知り合いから打診されたのは、障害のある小学生の女の子のケアを個人で請け負うという仕事でした。
その子は、生まれつき発達障害があり、失語もありました。
両親は病院に通院させ、治療してなんとか気持ちを落ち着かせたい意向でしたが、生来の障害に加えて、成育環境の中で加わったストレスや感情が、彼女の心を閉ざした部分もあるように思えるとのこと。
「あなたのように純粋で明るい女性がそばにいてくれることが、その子の癒しになるし、その子を成長させることになると思う」とその看護師さんは言うのです。
頼まれたことはやってみよう、という性格です。
とにもかくにも、ご両親と本人に会ってみました。
雇い主であるご両親は、どちらもとても仕事が忙しい人でした。それでもお子さんをとてもかわいがっていることが伝わってきて、何かの拍子に突然、お子さんがパニック障害のようになってしまうことを心配していました。
だからこそ、介護の知識がある人に常に寄り添っていてほしい、体調や精神面が下り坂になったときに察知して、気持ちをなだめてほしい、ということでした。
勤務時間は朝8時から夜8時まで。お休みは週2日もらえるとのこと。
報酬は月30万円で、源泉徴収して手取り月収は約27万円。
個人と個人の契約で健康保険や年金に加入していなかったので、自分で国民健康保険と国民年金を支払う必要がありました。
この報酬の条件がいいのか悪いのか、その場では判断がつきませんでしたが、子どものために月30万円払える親もいるんだな、すごいな、とびっくりしました。
そして、お子さんのために、私が必要とされている。
ならばやるしかない、と言う気持ちでお引き受けしました。
パニック障害のようになると命の危険が
しかし、実際に働き始めると、大変な仕事でした。お子さんはご両親への強い愛情があるのに、うまく伝えられない。
ご両親はお子さんの気持ちをわかろうとするのだけれど、わからないとあきらめてしまう。
言葉を使った会話ができなくても目を見てもっと話しかければ、思いは伝わるのに…。
なんとなく、彼女が成長しても自分の思いを伝えられず、言葉も発しなくなってしまった理由がわかる気がしました。
繊細な彼女は少しのことで傷つきやすく、自分で頭をガンガン壁にぶつけたり、叫んだりして、心だけでなく、身体も傷つけてしまいます。
命の危険もあるから、かたときも離れるわけにはいきません。
緊張を強いられる中、私ができることと言えば、「大丈夫だよ、大丈夫だよ」と背中をさすることぐらいでした。
寄り添い、努力するほどに、自分の無力さを感じる日々
それでも、気分のいいときは、私に対して特別な笑顔を見せてくれることもありましたが、相変わらずご両親は忙しく出張で不在にする日も多く、その子は寂しさを抱えたまま。
好転もしない状況で、私自身もだんだん疲れていましたが、ご両親に対して「お子さんにもっと関わってあげてください」と言うわけにもいかず、何もできないもどかしさも感じていました。
4年がんばりました。でも、このままでは私の体力がもたないと感じ、辞めることにしました。
彼女のことはかわいそうだと思ったけれど、紹介してくれた看護師さんが「あなたの体が心配だからもう辞めてもいいよ」と言うほど私は憔悴していたようです。
【介護業界へ再転職】理想は「介護と保育と療育」の融合
個人契約で障害のある女の子を支援する仕事を辞めたら、肩の力がすっと抜けていくのを感じました。
ああ、疲れていたんだな、と思いました。
けれど、彼女を置いて逃げてきてしまったような、むなしい気持ちをどうしようもなく、
療育と保育と介護を組み合わせたような仕事ができないか、と考え始めました。
そんな折に出会ったのが、今勤務している会社です。
この会社では、保育園、障害のある人の作業所、高齢者のデイサービスと居宅介護支援事業所を経営していました。
求人サイトで会社を見つけて、「あ、自分の次の居場所はここかも」という予感がしました。
さっそく面接に行き、自分の思いを伝えると、「まさにうちの会社もあなたと同じことを考えていたんですよ。
多世代交流ができて、障害のある人もない人も一緒に集える高齢者施設を作りたいと思っています」と。
ここだ!と確信し、自分の理想とする介護をアピール。無事に介護職として採用していただくことになりました。
<三輪 泉(ライター・社会福祉士)>
次回は、デイサービスやサービス付き高齢者向け住宅の訪問介護の仕事を始めるOさんの様子をお伝えします。
次回「未経験の「施設長」に悪戦苦闘…それでも介護の仕事は楽しい!~Oさん3」は、7月24日に公開予定です。
*O・Rさんの「転職 成功・失敗 体験談」…
1回目、2回目、
3回目、
4回目(最終回)はこちら
●○● 介護業界で転職する時の 基本ノウハウ ●○●
介護求人ナビの求人数は業界最大級! エリア・職種・事業所の種類など、さまざまな条件で検索できます